自転車のベルから気がついたこと
曲がる時に鳴らし続けるベル
ごく稀にではあるが自転車のベルを鳴らし続けながら曲がる人を見かける。
道交法でいうと左右の見通しの悪い交差点でないとしても、以前は曲がった先の人に自分の存在を知らせるためなんだろうな程度に考えていた。
ただその考えをあらためることになる光景を先日目にした。
急ブレーキと怒鳴り声
自宅の近くに国道と生活道路が交わる見通しの悪い交差点がある。
近くには高校や団地もあり人の往来は多い。
信号待ちをしているとベルを鳴らしながら曲がっていく男性が私の後ろを抜けて行った。
曲がってすぐに急ブレーキの音、その後に「ベルの音聞こえただろ」と怒鳴り声。
あまりの勢いに驚いたのか怒鳴られた相手は男性に相手は謝っている。
「気をつけろよ!」と言って男性は去っていった。
ツッコミどころは多数あるにせよ、その光景を目にして「あぁ、ベルを鳴らし続けながら曲がるのは『俺が通るから道をあけろよ』ってことなのか。」と考えをあらためた。
次からベルの音が続けて聞こえたら、私は面倒なのが来たと思いながら気をつけることだろう。
相手に過程まで伝わるメッセージ
ここから先は頭の中で今週はこれを書こうと考えていた時はなかった部分だ。
書いていて考えたのは自分が伝えたメッセージに対し相手がきちんと反応していても、過程の部分は伝わっていない可能性があるということ。
自転車のベルに関して言えば、カーブに入る時に鳴らすと、相手は避ける。
避けるという結果は同じだが、自転車が来るから避けるのと面倒なのが来るから避けるのでは過程が異なる。
鳴らしている本人からすれば結果は同じだから正しく伝わったと考えてしまうだろう。
今日から何かのメッセージを出した際、過程まで伝わるようにしていこう。