webディレクターが「今」考えていること

webの世界を広く浅く経験するディレクターがビジネス・プライベート問わず「今」考えたこと、感じたことを記します。

【キャッシュレス生活】小さいふコンチャを三ヶ月使用レビュー

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小さいふコンチャとの出会い

年始からキャッシュレス生活を始めて早くも三ヶ月経過しようとしている。

キャッシュレス生活を始めるにあたり、今まで使っていた財布もだいぶくたびれてきていたこともあり財布も新調。

これまで興味はあったが中身の整理を面倒くさがって購入にはいたらなかった小さい財布を購入しようとあらためて調べていたのがクアトロガッツの小さいふシリーズだ。

quatrogats.com

小さいふシリーズの他、この分野では有名なabrAsus(アブラサス)ももちろん比較検討した。

superclassic.jp

類似品や似たコンセプトの製品も多数存在するが、個人的にはこの二社が小ささと使い勝手のバランスの取り方は抜けている印象。

最終的に「小さいふコンチャ」「小さいふぺけーニュ」「小さい財布 abrAsus」に絞ったがその中で「小さいふコンチャ」に決めたのは一番無理をしていないからだ。

「小さいふペケーニョ」はお札の端っこが折れ曲がるのがネックで「小さい財布 abrAsus」は小銭収納部分が個人的にピーキーに感じた。

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「小さいふコンチャ」は大きさは他製品に比べ一回り大きいが、その分無理はしていないので万が一キャッシュレス生活が長続きしなくても使い続けられる安心感は購入前に持てたことが大きい。

購入への障壁

財布にしても靴にしても購入する前に一度手にとってみたい。

まして財布は一度購入したら長年使い続けるつもりで購入するから尚更だ。

ただクアトロガッツ製品は一部東急ハンズで取扱はあるものの「小さいふペケーニョ」が大半で、店舗数も限られている。私の生活圏には残念ながら取扱店舗がなかったため購入前に手を取ることを断念。

催事やポップアップストアも関西が中心のため、こちらも断念。

仕方なしにあらゆるメディアで検索を行い、レビューを見て判断することに。個人的に比較検討時は横串さしてレビューしてくれるので法人媒体はよく見るが、購入前のレビュー確認時は法人媒体は見ない。個人ブログ(アフィリエイト無し)、YouTube(過度な編集無し)が参考になることが多いと感じている。

さしあたってデメリットとなりそうな部分は

・カード枚数:6枚程度
→6枚以下に収められるので私は問題なし

・カード収納部1ポケットに2枚入れていると伸びてしまい、1枚しか入れないと落下することがある。
→革製品あるある、だがカードの厚みの組み合わせを工夫すれば防げる。

・形状が丸みを帯びているので女性のイメージ
→他人の持ち物に人はそこまで興味ない

という感じで私個人的にはあまりデメリットを感じなかったので購入。とはいえ安い買い物ではないので、中々勇気が入りましたけどね。

使った感想

キャッシュレスで生活できているので財布を取り出すことがあまりないのが正直なところ。

財布を取り出す回数が少ない=財布が手に馴染んでない状態、で使いにくさを感じてないので大きさと使いやすさのバランスは取れていると感じます。バネホックを閉める時の感触は二つ折り財布にはなく、位置も完璧なので気持ち良い。

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私は財布はカバンの中に入れているので、ポケットに入れることはあまりありませんが、財布自体がコンパクトなこともありジャケットのポケットに入れてもシルエットが崩れないのには良いかもしれませんね。

そもそもシルエットが崩れるほど入りません。

縫製はとてもキレイで負荷のかかる箇所は丁寧に返し縫いされています、糸が細めなので数年使った時にどうなるか?が少し不安なくらいです。

極端に小さいわけではないので、持ち物をとことん小さくしたいと言う人には他の選択肢をおすすめします。スマホ決済がメインでサブ的な用途で財布を持ちたい方にならおすすめできる製品です。

quatrogats.com

フォトグラファーユニット「Photonium」がすごい

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「Photonium」との出会い

今年の初めに「α6000」を購入し休日はカメラのある暮らしを満喫している。

基本的には子供を撮影しているが、カメラを持って出かけると不思議と何気ない景色を撮りたくなる。

常にスマホというカメラを持っているのにそうはならなかったのは「必需品ではないが持っていく」というのが大きいと感じている。

もちろん撮影するだけならスマホで充分であるが、どうせ撮るのであればキレイに残したい。本を読んだりWEBで調べたり、休日は平日に調べたことを試してみたり楽しんでいる。

私は通勤中や家事を行っている時は音楽ではなくPodcastを聞いている。聞くジャンルはWEBテック系、ガジェット系、モノ系、日常系など様々である。そして折角カメラを楽しみ始めたのだからと検索して出てきたのが「Photonium」であった。

「Photonium」とは?

三人寄れば文殊の知恵というけれど、フォトグラファーが3人揃うとそれは知恵ではなく…痴話(笑。 フォトグラファー3人が「カメラ」をテーマに、[あるあるネタ]や[レンズ談議]をしたりしなかったりするよ♪ STUDIO NOUVEAU Inc. 代表取締役 兼 フォトグラファー [キヨ] 茨城県の変人フォトグラファー [ケンちゃん] Noka Photographie フォトグラファー [つっくん] の3人がお送りする攻めのフォトグラファートークをお楽しみ下さい♪
iTunesより引用

フォトグラファー3人(4人の時もある)がカメラやカメラ以外のトークを展開していく番組であるが、個人的にはカメラネタに偏っていないのが好みである。

世間を騒がせたニュースなどにも触れフォトグラファーの視点のコメントを聞くのは楽しい。なかなか他の業界の方の意見を聞く機会はないので非常にためになる。

もちろんカメラの話も多いのでカメラ好きな人は是非聞いてみてほしい。

「Photonium」のすごさ

番組を継続して一年、業界紙「スタジオNOW」に掲載。6月に開催されるphotonextへのユニットとして出展が決まっている。

継続的に積極的な外部発信を行った結果、世界がどんどん広がっている。発信を行えば必ず誰かが見ていてくれてそこから何かが生まれる。もちろん誰もが成功するわけではないが、はじめの一歩の鴨川会長も言っていたではないか。

努力した者が全て報われるとは限らん。
しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!

個人的な話になるが私も一昨年より個人として外部発信を積極的に行った結果、今まで見ていた世界とはあきらかに違う景色が見えた。広がる規模は違えど非常に勇気が出るエピソードだ。

少なくとも私の生活でプロに写真を撮ってもらうのは家族の記念写真が主であり、スタジオアリススタジオマリオなどである。そしてシャッターを切ってもらうフォトグラファーの名前を知ることもなく撮影は終わる。フォトグラファーや街のスタジオに頼むのは心理的なハードルがやや高い。しかしこうして人と成りを知っていると親近感や安心感が生まれ、ハードルはぐっと下がる。

そして何より私自身こうしてストーリーを投稿している、ジャンルは違えど喫茶ランドリーと同じすごさを感じる。

「Photonium」関連リンク

Stager Live、KIYOさんのページ、生配信はこちらで行われている。

www.stager.live

iTunes、番組へのリンク

 

【キャッシュレス生活】スーパーのレジで並んだ時に感じたこと

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キャッシュレス生活三ヶ月目途中経過

今年の初めからスタートしたキャッシュレス生活も丸二ヶ月を経過して三ヶ月目に入った。

決済はモバイルSuicaである、そしてSuicaが使えない時はLINE Payカードで決済している。

モバイルSuicaのチャージもLINE Payカードで行っているので財布は持ち歩いているものの基本的に財布には触らないでいる。

家族で出かける際も従来は個人の財布とは別に家計用の財布を持ち歩いていたが、最近はそれすらも必要がなくなっている。

外出時の食事や買物などは私がSuicaかLINE Payカードで決済し、LINE Payに家庭の銀行口座からチャージをしている。

万が一の時のために私の財布は持ち歩いているが「小さいふ」を使っているので荷物は嵩張らない。

 

近所のスーパーのレジにて 

我が家がメインで利用するスーパーは食品や衣料品、日用品を扱っているどこにでもあるスーパーだ。

レジは複数台あり最近はスキャンは店員が行い、決済はレジ横の専用端末で行うセミレルフレジが導入された。

従来型のレジと共存ではなく全てがセミレルフレジに切り替わっている。

そして「現金&電子マネーが使えるレジ」は4台、「現金のみのレジ」が4台である。全レジ可動しているわけではないので、電子マネーが実際に使えるのは2台程度である。

日常の買い物は手早く終わらせて帰路につきたい。

空いているレジを探していて感じたことがある、電子マネーを使う客は選べるレジが少ない。

そして電子マネーを使えるレジに現金払いの客も並ぶ。

結果的に自身の決済は早く終わっても並んでから店を出るまでの時間は長くなる。

もちろん電子マネー専用レジではないので現金決済の客が並ぶのは自由だし、そこに不満を持つのであれば私が現金決済をすれば良いだけである。

しかし、これでは電子マネーの特長の一つである決済スピードの速さが失われている。スーパー側は使用できる決済方法が増えたと考えているかもしれないが、客側のUXは最低である。

ではどうするか?

いっその事、電子マネー専用レジを設けてみてはいかがだろうか。

客側のメリットはもちろんだが、手数料を取られる店側も店内に留めておく現金が少なくなるメリットがある。

釣り銭金、売上金など現金があるリスクと管理コスト。さらには人的要因であるレジ誤差。レジ誤差がおきれば原因追求と対策に時間を奪われる、そしてその人件費。

そのスーパーの電子マネー決済率次第ではあるが試験的に行ってみても悪くはないと感じる。

そして日常的に買い物を行うスーパーがこれでは電子マネーが現金に変わるのはまだ遠そうでもある。

その対応、未来のお客様を失っていませんか?

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目の前にいる取引先は将来の顧客かもしれない

きれい事を抜きにして言うとビジネスの場では買うほうが立場が上、売るほうが立場が下のことが往々にしてある。

その是非を今問うつもりはさらさらない。

しかしその目の前にいる取引先は将来の顧客になる可能性を忘れてはいけない。

どんな相手でもリスペクトを忘れない人、自分の方が立場が上だとマウントを取る人、世の中には色々な人がいる。

そして色々な人がいるから世の中はおもしろい。

ただし私は取引先相手に自分の方が立場が上だとマウントを取る人はどうしても解せないことがある。

相手は家に帰れば一個人であり、自社の顧客となり得る可能性を持っている。

しかし仕事中、正当な理由もなく嫌な気分にさせられていたらその会社の商品を購入したりサービスを利用したりしたいと思わないだろう。

個人の中で新たな需要が発生し、商品やサービスを検討した際、大差がなくどっちを購入しても良いということはよくある。

そこで最後のひと押しとなる要素に「縁」があると私は考えている。

昔仕事を一緒にしたことがあるから、お世話になっているから、この会社の製品にしようと考えることは何も不自然なことではない。

その逆もまた然りで、この会社の担当は感じが悪かったからやめよう、となることも不自然なことではない。

しかも「縁」は多少の価格や機能差を超える力を持っている、それほどまでに人間は不条理にできている。

多くの企業が新規顧客を獲得しようとマーケティングに取り組んでいるが、マーケティングをいくら努力したところで見えないところに穴が空いていたのでは効果は落ちる。

社内の人間が取引先に対してどういう態度を取っているのか見るのも新規顧客、ひいてはLTV最大化のために必要なことである。

何も媚び諂えと言いたいわけではなく、どんな相手でもリスペクトを忘れなければ良いだけだ。

しかしできない人はいる、だから世の中はおもしろい。

小売業がコンテンツマーケを始めるならフォトヨドバシを見るべき

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フォトヨドバシというお化けサイト

最近ミラーレス一眼を手に入れ、レンズを買おうか悩んでいる。

レンズも一本数万円する(本体より高い)ので、お小遣い制の私に失敗は許されない。余談だが自転車のペダルで数万円と似た世界だ。

失敗が許されない買い物は慎重になる。

初めは「品番」の指名で調べメーカー公式サイトから順に虱潰しに調べ、次は「品番+レビュー」「品番+口コミ」などで使用感などを調べていく。

そうやってカメラのことを調べていくと必ず出会うのが「フォトヨドバシ」だ。

[PY] フォトヨドバシ | ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン |

小売最大の強み、横断

サイトを見ていただければ分かるがカメラボディに加えレンズの実写レビューがふんだんに掲載されている。

それもメーカー提供の写真ではなくカメラマンがロケに向かい撮影してきた写真である。これだけでオリジナルコンテンツとして強いのは間違いないが、小売最大の強みであるメーカーをまたがったコンテンツを作れているところが最大の強みであることは間違いないだろう。

メーカーもコンテンツマーケティングに取り組む昨今、技術的なコンテンツでは小売りは勝ち目がない。そして当たり前ではあるがメーカーのコンテンツは悪いところは書かない。

もちろんフォトヨドバシも取引先との関係もあるであろうから、あまり辛辣なことは書けない部分もあるだろうが、悪いところ・弱点がしっかりと書かれている。

レンズのレビューを見ていてすごさも感じたが、スマホハンバーガーメニューが使いにくく横に広いコンテンツを持っているのに、横の移動がしにくい。

しかし、これだけの実写レビューが掲載されているサイトは他にない。

どれだけUIが使いにくくてもフォトヨドバシを使うしかない、優れたコンテンツはUIを超えるのだ。(とはいえ改善は希望する)

ぜひ小売業でコンテンツマーケティングに取り組んでいる方はフォトヨドバシを一度見てみてほしい。

「ありがとう」という言葉について考える

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三ヶ月書けなかったネタ「ありがとう」

ブログに書こうと思ったことはEvernoteにメモに残している。

古いものから書いては消していくので一番上にいるものが一番古いメモだ。

そして今のメモの一番上には「ありがとうが言えない人」と書いてある。

仕事をしていて「あぁ、この人はありがとうが言えない人なんだな」と思ったのがきっかけでメモを残したのだが、三ヶ月間ストーリーになることはなかった。

思ったことをそのまま書いてはただの悪口になりかねない、自分自身の言葉として書けるようになるまでネタは寝かすのだが、先日こんな記事を読んだことでついに言語化できたので書いていく。

www.j-cast.com

私個人の考え

私はNewsPicksで下記のようにコメントをした

店員さんは「買ってくれてありがとう。」お客さんは「売ってくれてありがとう」なわけで、なんら違和感ありません。ただ客側で言う人は少ないとは感じていますので常識とも言わないですが。
記事読んでて思ったのが部下からの報告などに「分かった」「了解」って返す上司多いけど、この言葉を「ありがとう」にすると色々うまくいきますよ。
「ありがとう」は不思議な力を持っている言葉だと思っています。
コメント後数日たってあらためて考えてみると人と人のやりとりの間に気持ちが通っていないから「ありがとう」が出ないことに違和感を覚えないのかなと感じている。

コンビニが悪い、言えない人が悪いと言っているわけではなく「ありがとう」という言葉はもっと自然に出てくるものではないかと思う。

言わせた「ありがとう」は意味がない。

「ありがとう」が自然に言えるようになるために

私自身まだ徹底ができていないのだが「ありがとう」は「すみません」の代わりになることがある。

例えば待ち合わせに遅れた時は「遅れてすみません」ではなく「待ってくれてありがとう」、何かミスをした時は「ミスってすみません」ではなく「カバーしてくれてありがとう」。

もちろん時と場合によるが十分代わりの言葉として成り立つ。

そして「ありがとう」のすごいところは「すみません」と違って軽い言葉になり難いところである。

「すみません」を多用しても「あいつは反省の色がない」となるが「ありがとう」を多用しても「あいつはいつも感謝している、けしからん」とはならない。

あらためて「ありがとう」は不思議な力を持った言葉であると感じる。

写真を見て思う、昔は色が薄かったのか?

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子供の頃の写真を見て思ったこと

先日、妹が無事に元気な女の子を出産した。これで私も二児(もう一人は義理の妹夫妻の子)のおじさんとなったわけである。

一ヶ月ほどは実家にいるので、ちょくちょく様子を見に行っていたのだがその時ふと昔のアルバムを見ようとなった。

写真を見てしばらくして思ったのが、昔の写真というのは色が薄かったり、くすんでいたりする。

フィルムの味と言えばそれまでだが当時はそうだったのだろうか?

今ほど煌びやかな照明やイルミネーションはなかっただろうし、建築物もオーソドックスな形状のものが多かっただろう。

ただそういった見た目だけのものではなく、鮮やかな色の付いた記憶というものがあまりない。

記憶の引き出しをあけるには写真は最高の鍵だ。

その鍵がフィルムの特性であったり、現像後時間が経ち色褪せていったものだから私自身の記憶の補正をしているのではないかと思う。

デジタル写真では色褪せない

デジタル全盛期の今、私はすべての写真をデジタルカメラで撮影している。

基本的に印刷はせずにHDDとクラウドストレージに保存している。

データで持っている限り現像した写真のように色褪せることはなく、技術の進歩とともに色の再現性は上がっていくだろう。

記憶の引き出しを開ける鍵としては極めて高解像度になっていく。

しかし、誰もがそうだが思い出したくはない記憶というものがある。

それをふと昔の写真をみて引き出される時、高解像度すぎるのもいかがなものだろうか。

そんなことを考えると人が少しづつ忘れていくのと同じように少しづつ解像度が落ちていくフィルム写真も良いものだなとあらためて感じた出来事であった。