「ありがとう」という言葉について考える
三ヶ月書けなかったネタ「ありがとう」
ブログに書こうと思ったことはEvernoteにメモに残している。
古いものから書いては消していくので一番上にいるものが一番古いメモだ。
そして今のメモの一番上には「ありがとうが言えない人」と書いてある。
仕事をしていて「あぁ、この人はありがとうが言えない人なんだな」と思ったのがきっかけでメモを残したのだが、三ヶ月間ストーリーになることはなかった。
思ったことをそのまま書いてはただの悪口になりかねない、自分自身の言葉として書けるようになるまでネタは寝かすのだが、先日こんな記事を読んだことでついに言語化できたので書いていく。
私個人の考え
私はNewsPicksで下記のようにコメントをした
店員さんは「買ってくれてありがとう。」お客さんは「売ってくれてありがとう」なわけで、なんら違和感ありません。ただ客側で言う人は少ないとは感じていますので常識とも言わないですが。
記事読んでて思ったのが部下からの報告などに「分かった」「了解」って返す上司多いけど、この言葉を「ありがとう」にすると色々うまくいきますよ。
「ありがとう」は不思議な力を持っている言葉だと思っています。
コメント後数日たってあらためて考えてみると人と人のやりとりの間に気持ちが通っていないから「ありがとう」が出ないことに違和感を覚えないのかなと感じている。
コンビニが悪い、言えない人が悪いと言っているわけではなく「ありがとう」という言葉はもっと自然に出てくるものではないかと思う。
言わせた「ありがとう」は意味がない。
「ありがとう」が自然に言えるようになるために
私自身まだ徹底ができていないのだが「ありがとう」は「すみません」の代わりになることがある。
例えば待ち合わせに遅れた時は「遅れてすみません」ではなく「待ってくれてありがとう」、何かミスをした時は「ミスってすみません」ではなく「カバーしてくれてありがとう」。
もちろん時と場合によるが十分代わりの言葉として成り立つ。
そして「ありがとう」のすごいところは「すみません」と違って軽い言葉になり難いところである。
「すみません」を多用しても「あいつは反省の色がない」となるが「ありがとう」を多用しても「あいつはいつも感謝している、けしからん」とはならない。
あらためて「ありがとう」は不思議な力を持った言葉であると感じる。