ちょっと損する気持ちの大切さ
私の勤務先には「ちょっと損した気持ち」という言葉があります。その言葉の意味について考えてみました。
誰がやっても良いこと
わざわざ自分がやらなくても誰かがやれば良いことは職場に溢れています。
・ゴミが落ちていたからゴミ箱に捨てる。
・洗面台の周りに水がハネて濡れているから拭く。
・蛍光灯が切れていたのに気づいたから変える。
・誰が取りにいってもよい荷物を取りにいく。
誰もが経験したことがあるであろう例を4つあげましたが、これらは自分でやらなくても誰かがやってくれることでしょう。
やらなくても自分が困ることはないので気にもとめない人もいるでしょう。
そのほとんどが雑用と言われる分野なので専門性を必要としないのも特徴です。
それは自分がやらなくて良いと考える人がいるのも事実。
世の中には「そんなの進んでやるのは普通のことでしょ。」と考える人が大多数かと思います。(そうであってほしい)
しかし、以前の私のように「なんで私がわざわざ」と考える人がいるのも事実です。
そんな人に誰がやっても良いことを自分で進んでやる大切さを気づかせる言葉が「ちょっと損する気持ち」なのかなと最近は考えています。
ちょっと損して大きく得をする
自ら進んで損をしたいと考える人は少ないでしょう。
しかし、本当にちょっとだけ腰をかがめる、手を動かす、時間を使うのであれば多くの人は許容できる範囲ではないでしょうか。
ちょっと損をすることによって初めに上げた4つの例がどうなるか
・ゴミが落ちていない清潔なオフィスを維持できる。
・キレイな洗面台であるため、一日数回あるトイレで嫌な気分になる人が減る。
・意識が蛍光灯に向かないため業務に集中できる。
・席を立たないで済むので作業が途切れない。
ちょっとの損でチームや会社全員が得をしますよね。
これらはチームや会社のパフォーマンスを上げることではありません、しかし誰かがやらなければパフォーマンスを落とすことになります。
逆説的になりますが落とす必要のないところを防ぐのは上げることと同意義と感じます。
私がちょっと損して大きく得をしたこと
私がちょっと損する気持ちで雑用を行うようになって、決定的に私だけが得をしているなと感じていることがあります。
それはエレベーターの中や、ゴミ捨て場などで日頃業務で関わらない方と交流を持てたことです。
初めはかんたんな挨拶でも回数を重ねると色々な話をするようになり、仕事の幅が広がったり困ったときに助け合ったり。
今では損と考えるなんてとんでもない、得をしたいから雑用をする。に思考が切り替わりました。