情報共有の大切さと危険さ
情報共有の大切さ
情報を共有することが大切なことであるのは言うまでもない。
一人では集められる情報や体験に限りがある、それを社内やチーム内で共有することにより情報の幅が広がるからだ。
また積極的に共有することによりアウトプットの力や精度が高くなる。
アウトプットするためには、まず自分の中で咀嚼する必要があるので理解度が高まるメリットもある。
情報共有の危険さ
情報共有をするために咀嚼をするのは良いことではある、しかし咀嚼しすぎた結果、必要以上に簡潔に伝えていることはないだろうか?
人にわかりやすく伝えるのは必要なことであるが、わかりやすくするのと省略は意味が大きく異なる。
わかりやすくするは専門用語を一般的な用語に置き換え説明する、省略するはワード自体を存在しないものとすることだ。
省略して共有された情報をまた誰か別の人間に省略して共有する。
この連鎖が起こると情報は簡略化されすぎ本当に肝心な部分が抜け落ちている可能性が高くなる。
当人は必要な部分だけを抜き出し、わかりやすくするために良かれと思って省略しているのだが、結果的に情報が正しく伝わらなければ本末転倒である。
私の近くで起こった実例
2016年11月5日、Googleがモバイルファーストインデックスを発表した。
ウェブマスターブログを読んでも私は100%理解できたとは思えなかったので、解説記事を横断しなんとか理解を深めた。
その内容を可能な限り省略しないように共有したが、理解しようと努力しないとなかなか難しい内容ではあるので、努力を惜しむ人は
「なんか難しいこと書いてあるけど、要はスマホサイトがあれば良いってことだよね。じゃあ今すでにあるから対応しなくて良いよね。」
と大幅に内容を省略して理解をした(つもりになった)。
たしかに要点だけを一言でまとめれば間違ってはいないがGoogleが提唱するモバイルファーストインデックスを理解したとは言えない。
おそらくこの理解をした人が共有すると
「モバイルファーストインデックスは気にしなくて良い」
ここまで省略されてしまうのではないだろうか。
人は手軽でかんたんな方になびく生き物だ、おそらく「モバイルファーストインデックスは気にしなくて良い」と共有された人はウェブマスターブログの元記事を読むことはしないだろう。
情報を正しく共有する難しさと、共有された情報の正確さに違和感を覚える感性を養わなければいけないと思える出来事であった。