何気ない質問で目的と評価基準のずれを知った話
先日、学生に理科を教えてる人と話す機会があったので聞いてみました。
酒の席だったので意訳になりますがそこはお許しを。
「熱意のある生徒の共通点みたいなものはあるんですか?」
回答はこのようなものでした。
火で例えると青白い炎って見た目は静かに見えますが、熱効率は高く勢いよく長く燃え続けますよね。
逆に赤い炎は見た目は派手で目立ちますけど、熱効率は悪く早く消えちゃいますよね。
学生も同じで初めは目立たない生徒の方が最後まで残ってしっかりと聞いてくれていることがあるんです。
この話には自分の経験にも重なるところがあり、大変納得できました。
質問する=熱心、質問しない=熱心でない、と考えていた私
質問しない人を青い炎、質問する人を赤い炎としましょう。
部下や後輩に何かを教える時に「質問はある?」と聞くことが度々あります。
私の中では質問をしてくる人の方が理解しようとしているなと好印象でした。
また私が教わる立場の時も質問をする=積極性がある、と考えていたので質問はすべきと考えていました。
目的と評価基準のずれ
人に何かを教わる時の目的は理解することです。
積極性を見せることでも、質問することでもないのです。
もちろん、理解するために質問するのは目的がずれていないので良いです。
しかし、質問をしないことが悪いことではありません。
目的は理解すること、理解できていれば質問はする必要ありません。
それを積極性がないなー、やる気がないなー、と目的と異なる物差しで測っていた自分を深く反省させてくれるお話でした。
恐らく体育会系の人ほど心当たりがあるのではないでしょうか。。。